
撮影日時: 2024:10:11 17:47:41 ISO感度: 200 露出時間: 30 (30/1) 秒 露光補正値: 0 EV 絞り: f/22
焦点距離: 15 mm
佃島の船溜まりを撮ったときに、路地裏の夜の風景も撮りたくなったので、古い町家が残る細い路地裏を撮った。
佃島が大坂佃村の漁師によって開拓されたことはこちらでも触れたが、細い路地にはかつて漁師が住んでいた古い町家が残っている。
写真の町家は築100年の飯田家という漁師のものだったが、最近その主がいなくなったのか、空き家になっていたらしく、保存活用プロジェクトという形でクラウドファンディングを始めたという。
佃島の歴史を物語る建物だけに、こうした動きで保存されるようになったのは嬉しいことだ。
旧飯田家住宅は、「佃喜八」という屋号をもつ日本橋魚市場の魚問屋の併用住宅として大正9年(1920)頃に建築されました。佃島の「中通り」に面して建つ2階建の出桁造(だしげたづくり)町家で、魚問屋らしく北側に生け簀(いけす)と手押しポンプの井戸を配した広い土間をもち、南側には住宅への玄関を独立して設けていることが特徴です。土間の入口の鴨居には、商家のステータスとなる背の高い人見梁(ひとみばり)を用い、大八車が入りやすいように敷居が外れるようになっています。
また2階には榁(むろ)の変木を用いた数寄屋風の続き間座敷があり、昭和のはじめには、東京宝塚劇場の開設にあわせて阪急電鉄社長の小林一三(こばやしいちぞう)が滞在したとも伝えられています。
旧飯田家の建つ短冊形地割の敷地は、江戸時代のはじめに佃島の町割・屋敷地割が定められた当初の形状を保ちながら、南北両脇には隅田川の河岸に抜ける路地が設けられており、近代の埋立地である月島とはまた違った江戸の漁師町らしい密度の高い路地空間を留めています。佃島の伝統的な住居は、こうした路地空間の構成を生活に巧みに利用しています。
旧飯田家住宅もまた、南側の路地に面しては瀟洒な格子窓と硝子障子を用いてプライバシーを守りながら採光を確保し、北側路地の奥には、昭和初期に主屋裏に増築された「離れ」に設けられた台所と風呂に直接入れる勝手口を設けています。台所には天窓が設けられ床下収納を多用、2階には路地に面して物干場を配置するなど、漁師町らしい高密度居住のなかでの住まい方の工夫が随所にみられます。

撮影日時: 2024:10:11 17:45:25 ISO感度: 200 露出時間: 30 (30/1) 秒 露光補正値: 0 EV 絞り: f/22
焦点距離: 15 mm
こちらは同じ路地裏を反対側から撮ったもので、写真右に見えるのが旧飯田家住宅である。
佃島は新しい住宅が増えてきているとはいえ、古い町家が向き合いながら残っているうえ、下町の路地裏風景の雰囲気が今も残っている。
佃島の船溜まり
sunset-andscape.hatenadiary.jp